昭和
昭和ノスタルジー:洗濯籠のアイドル、二階堂のささやかな乳児記
2026年6月18日
鎌倉二階堂のクリーニング屋で、洗濯籠の中の人気者になっていた乳児期の、聞き伝えのおかしな記憶。
横須賀の廊下の端で産声を上げてからほどなく、一家は鎌倉の二階堂へと移り住んだ。父はそこでクリーニング屋を営んでおり、住み込みの従業員も含めた、なんとも賑やかな大所帯であったという。
ちょうどこの頃、昭和二十五年に「クリーニング業法」という法律が新たに定められ、衛生面での指導や届出が業界に求められるようになっていた。当時のクリーニング屋はまだ、先輩の店に住み込みで技術を覚え、やがて独立していくという徒弟制度が当たり前の時代。父の店に出入りしていた住み込みの従業員たちも、おそらくそうした道をたどってきた一人だったのだろう。
もちろん、この頃の記憶はぼく自身にはまったくない。なにせ生まれてまだ数えるほどの月日しか経っていない頃の話である。だが、後年あちこちから聞かされた話をつなぎ合わせると、どうもこの時期のぼくは、家族の誰も予想しなかった「役割」を与えられていたらしい。

クリーニング屋には、お得意先に仕上がった洗濯物を届ける配達係の青年がいた。その自転車の荷台には、大きな洗濯籠がくくりつけられていた。ある日、誰がどういう経緯でそうしたのかは今も判然としないのだが、その籠に、生まれてまだ間もないぼくがひょいと乗せられてしまったというのである。理由として伝わっているのは、ただひとつ。「ちょうどいい大きさだったから」。それ以上の深い事情は、どうやら誰の記憶にも残っていないようだ。
これが、店の若い女の子たちの間で、思いがけず大変な人気を呼んだ。
配達の自転車が出かける前になると、決まって誰かが籠の中を覗き込み、「かわいい、かわいい」と頬をつねったり、髪をくしゃくしゃにしたりしていたという。まるで、新しく買ってもらった人形か、あるいは子犬を構うような調子であった。洗濯物と一緒に籠に詰め込まれ、配達がてら町内をひとめぐりさせられることもあったというから、当時のぼくは、ある意味でこのクリーニング店の「人気アイドル」だったと言えるのかもしれない。配達のたびに「今日はどの子が籠を覗きに来るか」で、ちょっとした順番待ちすらあったというのだから、その人気ぶりはなかなかのものだったらしい。
SP盤
鎌倉の風物詩
母は後年この話をするとき、決まって苦笑いを浮かべながら、こう言っていたものだ。
「あなたは赤ん坊の頃から、ペットみたいに可愛がられてたのよ」
籠の中で大人しくしていたのか、それとも泣き喚いて配達の青年を困らせていたのか――その詳細は、もはや誰の記憶にも残っていない。ただ、洗濯物の山に紛れて鎌倉の路地を巡っていた一人の赤ん坊が、後年コンピューターやAIを相手に文章をひねり出すようになるとは、当時の誰も、想像すらしていなかったに違いない。
思えば、洗濯籠の中で揺られていたあの頃から、ぼくはすでに、誰かの手によって運ばれ、誰かに見つけられ、誰かに可愛がられる――そんな小さな「縁」に恵まれていたのかもしれない。横須賀の廊下のカーテンの寒さと、二階堂の洗濯籠の温かさ。生まれてすぐのぼくの世界は、いつも誰かのすぐ隣にあったようだ。